太宰治「人間失格」の感想
人間失格」といえば、キンキキッズが主演していた「人間失格」というドラマが一昔前にあった。

そのドラマは、イジメによって追い詰められ、自殺した息子の復讐を、果たすために鬼と化した父親の像が描かれている。イジメ役には堂本光一をイジメられ役には、堂本剛、父親役には赤井秀和が確かキャスティングされていた。主人公の追い詰められるさまといい、イジメの陰湿さといい、人の弱さやおろかさ、醜さが大いに強調されており、正に人間失格と言う名を呈しているとはいえ、見ていて正直、胸糞が悪くなり、また時に苛立ちや絶望を覚えるドラマであった。しかし、また、つい怖いもの見たさで見てしまうという、不思議な吸引力を持ったドラマでもあった。

キンキキッズといえば、今やバラエティや司会、自らの番組をも持つ人気の大御所アイドルである。あのドラマの元とも言えるであろう、「人間失格」・・・果たしてどんな物語なのだろう・・・そんなこともあって、興味をそそられ私はこの文庫を手にとった。

しかして読んでみると、内容はドラマのものとは全く異なっていた。おそらく、本のタイトルのショッキングさに魅入られた脚本家が、そのタイトルをドラマにそっくり拝借したようにみえる。・・・・では、太宰治の描く「人間失格」とは一体、どういう意味なのだろう?なにが失格なのだろう?この辺りが興味をそそられ、私は読み進めてゆく。

読み進める中で、一体どこが面白いか?というとなると、結局、タイトルで言うところの「人間失格」というのが、物語の何処を指して、そう言わんとしているのか?太宰治自体がどういうつもりで、そうしたタイトルをつけたのか、それを探るところに、この物語を読み進める面白さがあるかのように見える。事実、私はそれを探ることで、最後まで物語を読み進めることができた。ただ、主人公の葉蔵の語り口調で物語が書き進められているセイか、彼自身が社会的に人間失格と位置づけられたとしても、さほど失格している様には、私には感じられなかった。

複数の女の体を渡り、女を捨て、また重婚し、酒におぼれ、女と心中し、逮捕歴があり、何度も自殺未遂し、モルヒネ中毒となる。とこう主人公のしでかした事件の語列だけを並べられると、とんでもなく波乱な人生を歩んでいるような気もするが、

ただ葉蔵の心内を見ると、あながち狂人に見えない、むしろ神経や思考だけは、普通以上にまっとうにさえ映るところに、この物語の皮肉さを感じる。(無論、太宰の感情が込められているからこそ、そう感じるのかもしれないが。実際は違うかもしれない。)むしろ、物語を読むにつけ、葉蔵の人として感受性の強さを感じさせ。また、感受性が強く純粋であるがゆえに、世の中の人の心(例えば表と裏、建前と本音)の矛盾から目をそらせず、混乱し、疲弊してゆくさまが見える。

確かに、人の心の表と裏、建前と本音のギャップに遭遇した時、こと、それが自分に対してのネガティブなギャップだった場合、大きなショックを禁じえないことは事実である。ショックが大きすぎて、人間不審になってしまうこともあるだろう。

しかし、この主人公は、もっと、開き直って「ちゃっかり」と生きればよかったのだろうと思った。ちゃっかり、ずうずうしく、自己中に生き、そして、時に手のひらを返し、自分にとって都合の悪いことはスッカリ忘れ、また見たくないものは見ず、くさいものには蓋をし、しばしば自分を棚上げし、周囲の気持ちを勘ぐらず、自分の都合だけをより多く見て、気まぐれに生き、適度に周囲を振り回せば、きっとずっと楽しく生きてゆけたのではないかと思った。

また、自分の弱さやギャップをそのまま周囲の人間に投影してみれば、(属に言う、自分の物差しで周囲を計るというやつ)自分だけが周囲をうまく欺いているなどという、妙な優越感に浸らず、孤独に陥らず、社会の妙なる傍観者にならずに済んだのではないかとも思う。(自分の道化行為を完全な演技というあたり、コンプレックスと優越感が妙な形で入り混じっているように見える。)こうしなければ適応できないというのが事実だし。いちいち真摯に人の心や物事を探っていては、それは頭が混乱するだろうという感じである。

人は純粋すぎてもいけない、愚かすぎてもいけない。世の中をうまく渡って行くには、自分の未来にとって、有利か、不利かを考えなければならないし、やって良いことと、悪いこととの判断もつけなければならない。やって良いことの中では、いくら道化てもかまわないが、やってはならないことには、どんなことがあっても、足は踏み込んではならない。それだけは、きっちり守らなければならない。そうしたことを感じさせられた。

また、なぜそこまで、主人公は執拗に人の目(というより、他人の自分に対するネガティブな感情)を意識し、おびえたのか?というのも疑問が残る。が、感受性のなせるワザだと思う。

「人間失格」というのは、モルヒネ中毒という主人公の末路ではなく。むしろ、こうした、通常人々が、本来持ち合わせているであろう、世渡りの適度な巧みさを備えず、周囲に適応できず、疲弊し、自滅したところに、「失格」という烙印を押されたような印象を受ける。また、太宰自体も感受性が強く、つねづね、人間の持っている「ちゃっかりさ」というものに、不満を持っていたのかもしれないとも思った。

そうなってくると、「人間失格」というタイトルの「人間」という言葉自体が皮肉を帯びてくる。何はともあれ、主人公の葉蔵に多かれ少なかれ共感を覚える人間は覚えるだろうし。全く分からない、理解できないと眉をしかめる人間と二通りに分かれる作品だろうと思った。

P.S.
最後に。主人公に対し思うのは、そこまで人が怖いならば、ぶっちゃけ、人と一切接触しなければよかったのにと思う。人目を逃れ、遠い山里へ、畑でも耕しに行けばよかったんだと思う。なのに、やたら女と接触し、また一緒に住む。そのほうが、よっぽど冒険だと思った。下手に女にモテたのが、運の尽きだったのかもしれない。
▼「人間失格」を読んでみる▼

2004/09/11by綾香

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