逃げても逃げても
追ってくる
隠れても隠れても
見つけだす
現実ってしつこいんだもの
ハラハラと落ち葉舞う
イチョウの木を
高く見上げ
好んで愛でる人もいるでしょう
ハラハラと舞い
炉端に溜まったイチョウの葉を
ただのゴミクズだと
わずらわしがる人もいるでしょう
白く匂いたつユリの花を
美しいと花瓶に飾りたてる人も
いるでしょう
甘い甘い
ユリの花びらの奥の
黄色い花粉が
袖について汚らしいと
眉をしかめる人もいるでしょう
どれだけ
価値のあるものでも
その真価を認めるものの
前でなければ
その価値のすべては
何らの意味もなさないのでしょう
ましてや
そんなものは
全てくだらないと
一蹴する者もいるのです
<2004/06/14>
例えば
コーラの半分入った
グラスを見て
「コーラが半分しかない」と感じるか
「コーラが半分もある」と感じるか
人生の幸不幸は
全てはコレで
決まっている
言わずもがな
後者が賢い
万事を後者で
感じられる者こそが
たやすくも
幸せを手に入れる
<2003/07/19>
ボクの
行動だの
思考だのを
規制しているのが
「不謹慎」という
言葉である
振り返れば
「不謹慎」という言葉に
ボクはことごとく
振り回されてきている
だけれど
ボクはそもそも
大いに「不謹慎」な
人間なのだ
なんだかんだで
すぐ人のセイにするし
結局は
自分さえよければいいし
ラクをしたいし
他人の不幸は蜜の味な
側面もあるだろう
だけれど
そこで不謹慎の天使が
舞い降りてきて
ボクに意義を申し立てるから
ダメなのだ
不謹慎の天使は
ボクに必死に人の世の
倫理を訴えかける
そこでなるほどと
「それは不謹慎だ」などと
不謹慎の天使に賛同し
妙に神妙ぶるから
後がツライのだ
「確かに不謹慎だ」などと
妙にいい奴ぶるから
後がツラくなるのだ
自分を「不謹慎」などと戒めたって
ろくなこたーない
誰も感心など
してくれやしないし
堅物だと周囲に
せせら笑われる
物事は停滞し
いつの間にか
カチコチに硬直する
そうして
風が水が時が
すべてを細切れにし
つつがなくさらうのだ
「不謹慎」という言葉を
いずこへと蹴り上げれば
ボクはもっとずっと
自由に生きてゆける
P.S.
って・・・まぁ、だれも私を堅物なんて言う人は居ませんが。言葉の流れに沿って脚色してみました(←既にいい加減)。
僕は
いい加減
思い知った
イエスマンで
どれだけイエスを
言い続けても
一度ノーといえば
その瞬間から嫌われる
イエスマンで
あり続け
イエスマンで
都合よく周囲に受け入れられる
ということは
結局
単なる延命治療にしか
過ぎないのだと
それは
希望の無い
いつ終わるともしれない
単調な時間
しかし
確実にくるであろう
世界の終わり
人は
簡単に手に入るものは
乱雑に扱うし
なかなか
手に入らなかったものは
大切に扱う
費やした労力を
無駄だと思いたくないがため
必死で己で目の前のものは
貴重な代物と
思い込もうとするのだ
いやそう信じたいのだ
それらが
たとえ
一文一寸
違(たが)わぬものだとしても
ヒトは
誰しも
心に
地雷を抱えている
表立って
見えないだけに
非常に
やっかいな代物でもある
それは
思いもかけぬ処に
埋まっていたりする
それを
悪気も無く
うっかり
踏みつけたりして
相手を傷つけ
自分も傷つき
まさに心の地雷は
地雷なのだ
こんな地雷は
誰の心の中にでも
埋まっている
ただ
それが多いヒトと
少ないヒトが
いるのも確かなのだ
汝(なんじ)
恐るるなかれ
汝
恐れれば
そのものに
力を与う
汝
恐るるなかれ
恐れを
知らなば
そもものは
恐るるに足らず
無力と化すだろう
恐怖は
汝の内に
恐怖を
肥やし怪物とするも
恐怖を
潰(つい)えるも
汝の望むまま
(title.「フォビア」)
人の言葉の
やっかいなところは
額面どおりの言葉と
額面どおりでない言葉とが
錯誤しているところなのだ
それは
時にストレスだったり
何かを訴える
SOSメッセージだったりもする
気もそぞろだったり
単に面倒な
だけだったりもする
ポロッと漏れ落ちる
心のホンネ
複雑に入り組んだ
言葉とは裏腹の
本当のココロ
かくして
人々の本心は
日々心の奥底へと
隠蔽されてゆく
なんだってデカければ
いいってもんではありません
なんだって既存であれば
いいというものでもありません
なぜなら
すべては0からの
スタートです
デカかろうが
既存だろうが
なんだって
全てに初めはありました
また
すべてがいつまでも
現状維持ではないからです
(title.「ビッグバン」)
オリジナルとは
生み出そうとして
生み出せるものではない
計算して
育まれるものでもない
オリジナルとは
押さえつけても
押さえつけても
勝手に
飛び出る
一つの特性
気を付けてても
気を付けてても
勝手に
転げ落ちる
1枚の
コイン
どこまでも
果てしなく遠くへ
転がり落ちて行く
オリジナルとは
オリジナルゆえに
枠には
決して
収まれりきれない
どうし様もなく
時に
枠を破壊し
飛び出る
衝動
巨大な
インパルス
<2002/10/23>
悪いことが
あった後は
いい事がある
いい事が
あった後は
悪いこともある
人生は
いつだって
平たんでは
ないから
いつだって
でこぼこしてるから
だから
凸凹
落ち込まないで
だから
凸凹
浮かれないで
だから
凸凹に
合わせて生きよう
だから
凸凹に
合わせて生きればいい
<2002/11/19>
背を向け
逃げれば逃げるほどに
その対象は
己の中で巨大な
化け物となってゆく
だけど
一度
振り向いてみたら
そこに居るのは
単なるチワワかも
しれないじゃない
ピコピコ
しっぽをふりふり
可愛いチワワが
私についてくるの
<2004/07/05
巷じゃあ
個性教育なんざ
のたまう輩がいて
ちゃんちゃら
おかしいってのは
このことを言うんでさぁね
個性ってぇのは
誰かに教わって
育つもんじゃあないってね?
人生における
一つのしくじりでさぁ
ってもんで
性格やら生活やら
なんやらで
人生しくじっちまって
はみでちまって
はて
まっとうな道はもう
歩けない
さて・・と
呆然自失の念で
しばし
天を仰ぐ
とはいうもの
いつまでもこうして
立ちんぼばかりは
してられない
思い直して
自分の歩く道を考えるんでさぁね
幸せへの道とでも申しましょうか?
どんだけ王道でも
どんだけまっとうな道でも
当人が歩けないってんじゃあ
しょうがないでござんしょ?
だから、しょうむなく
この自分なりの
幸せへの道ってぇのを
人は探すんでさぁね
個性ってぇのは
結局
人生におけるしくじりと
方向転換に他ならず
人生の一つの奇形の形でありやんす
だから
個性を教育するもなにも
「人生コケても腐らない、また別の道もある」
このたった一言で事足りるんでさぁ
はい
これは一つの例でござんすが
かくしてあたしゃも
今や見事個性人として
周囲にも知られておりやんすが
ええ昔は
なんて、真面目でまっとうなお坊ちゃん
なんて言われてましたぁね
今や
見る影もござぁません
ちゃんちゃん
(title.「個性教育」)
どんだけ
恵まれていたって
愚痴ばっか
コボしている奴と
一緒に居たくはないさ
どんだけ
幸せに囲まれていたって
憂鬱ばかり
いじくってる奴と
一緒に居たくはないさ
人は
誰だって
幸せに成りたい
毎日
生きていると
時に
楽しくない
出来事にも
遭遇するわけで
かといって
これといって
楽しい出来事が
あるわけでもなく
日々は
漫然と
すぎてゆく
大きく
あくびし
うっかり
顎が外れそうになり
目を白黒
させたりなんかする
そんな
僕の日々
つつがなき
僕の人生
<2003/11/04>
ネアカ人間は
大っぴらに
人をバカにし
もの笑いの種にし
人様にしばしば
恥をかかせ
ネクラ人間は
それを
根に持ち
わら人形
片手に
釘を打つ
どっちもどっち
人間は
ネアカでも
ネクラでもない
間人間がよろし
<2004/07/03>
弱い奴ほど
周りを傷つける
自分が
痛い痛いと
叫びながら
心の刃物で
周囲を傷つける
周りに
心が無いと
お思いですか?
メシを食って
クソして
寝る
これが
僕らの人生
この間に
何を入れるかが
そいつの
個性と
生き様
無知なる人間こそが
時にそのものの
真の価値を知ることとなる
煩わしい
偏見と知識の色眼鏡に
囚われることなく
惑わされることなく
僕はどうやら
かなりの
極端人間らしい
ものの加減を知らない馬鹿
と、
よく言われる
ナポレオンではないが
僕の辞書に
「中間」
の二文字はないのだ
<2002/10/21>
プラス思考すれば
人生はいつだって
バラ色
マイナス思考すれば
人生にはいつだって
葬送行進曲が流れてる
プラス思考すれば
鼻歌が出て
足取りも軽くなり
マイナス思考すれば
思わず眉間にしわがよる
100戦と99引き分け
そうして
最後に1勝
これは人生の勝ち組ですか?
100戦と99勝
そうして
最後に一敗
これは人生の負け組ですか?
徒党を組んで
襲い来る
荒波
荒波
荒波
人生は
いつだって
もみくちゃ
<2002/10/29>